アメニティーフォーラム21

アメニティフォーラム21

アメニティフォーラム21

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アメニティフォーラム21

アメニティフォーラム21

2月10日~2月12日に滋賀県で開催されたアメニティーフォーラム21に参加してきました。一言で表現すると、圧巻でした。深夜25時過ぎまでびっしりと組まれたプログラム。ひとつひとつの講演やシンポジウムのクオリティ。登壇者と聴講者の情熱。別会場で催されていたアート展や映画祭。過去に一度たりとも味わったことのない、当事者と当事者に寄り添う全ての人たちの思いが詰まった素晴らしいフォーラムでした。
今回のアメニティーフォーラムでは、障害者の文化芸術を主軸にたくさんの障害福祉施策が取り上げられていました。「高次脳機能障害」についても多くのプログラムで取り上げられており、登壇者や参加者の口から「高次脳機能障害」という言葉がたくさん聞かれました。元・駐スウェーデン日本国特命全権大使の渡邉芳樹先生が進行役で2日目に開催された「今後、必要となる新たな法整備について~障害がある人が輝く社会に~」というセクションでは、自民党・内閣総理大臣補佐官の衛藤晟一先生、公明党の山本ひろし先生、自民党の古川康先生、公明党の高木美智代先生、民進党の初鹿明博先生が口々に「高次脳機能障害に対する支援拡充に向け、当事者の実態把握とともに法整備を視野に入れた取り組みを進めていく必要性」を訴えてくださり、感激と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
最終日の3日目には、高次脳機能障害セッションが設けられており、高次脳機能障害情報・支援センター長の中島八十一先生が「見える障害高次脳機能障害~基礎知識から生活支援まで~」と題して講演され、その後、「私の頭の中の消しゴムと鉛筆」と題して当事者の川合健市さんが講演されました。そして高次脳機能障害セッションの最後に、日本脳外傷友の会顧問の山口加代子先生が進行役で「児童・学生時代から就職、そして社会とのつながり直しまで~小児期の高次脳機能障害~」と題したシンポジウムに、滋賀県高次脳機能障害支援センターの小西川梨紗先生、滋賀県立守山養護学校教諭の橋岡泉先生、公明党の山本ひろし先生と共に、私もシンポジストとして登壇させて頂きました。小西川先生から提示して頂いた事例を通して、当事者や家族、支援者が今まさに直面している課題を共有し、今後の高次脳機能障害支援について話し合うことのできた大変有意義な場であったと感じています。
アメニティーフォーラムの主催者でもある社会福祉法人グロー(GLOW)の北岡賢剛理事長に東京で初めてお会いして約1年。北岡理事長が高次脳機能障害者の支援拡充に対して真摯に取り組んでくださり、様々な場で高次脳機能障害について発言してくださり、このようなフォーラムで高次脳機能障害にスポットを当ててくださる。感謝の気持ちしかありません。
夢のように遠く感じていた高次脳機能障害の法整備も、今は、もしかしたら手が届くのではないか、みんなが力を合せて全力を尽くせば実現するのではないか。そんな気持ちになっています。
数日前に車で高知を出発し、遠い滋賀を目指しました。今、滋賀から高知に戻り、夜空を眺めています。なんだかもう、滋賀を近くに感じます。

-------------------理事長メモの一部-------------------
どうしても書き記しておかなければと思った。
2017年2月10日、僕は今、滋賀県で開催されているアメニティーフォーラム21に参加している。そして、たった今、「障害者のリアル×東大生のリアル」というシンポジウムを聴き終わったところだ。福島智先生と先生のお母さんの話に強烈な衝撃を受けた。そして、野澤和弘先生が語ってくれたあるエピソードに、いいようのない自責の念を覚えている。ALSの方と東大一年生の打ち上げでのエピソード。東大一年生がその方に尋ねた。「僕は東大入学が目標だったので、入学した今、何をしていいか分からなくなっている。聴きたいのは、もしあなたが健常者に戻れたと仮定して、その時に目の前にまたALSの患者さんに戻れる赤いボタンがあったら押しますか?」
その方は「間違いなく押します。身体が動かない不自由より、心が動かない不幸の方がイヤだから。君たちの心は動いていますか?」と答えたという。
ハッとなった。昨年10月、日本脳外傷友の会の全国大会を主催した僕は、シンポジウムの当事者登壇者を弟にお願いした。その時、弟はシンポジウムの最後に、「不自由と考えれる自由がここにある。」と語って締めくくった。今まで僕は、身体の声を聴く、当事者の声を聴く、という言葉を何度となく口にしてきた。僕は弟を含めた当事者の方と、「制約がないと仮定すれば本当は何がしたいのか?」「お金を気にせずなんでもやれるとしたら、どんな事業をしたいか?」などの話を今まで真剣にした事はない。今はまだ上手く整理できていないが、おそらく、僕の盲点は確かにここにある。

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2017年2月11日、アメニティーフォーラム21、2日目。
今、「アール・ブリュット~多様な表現が繋ぐ新たな世界へ~」というシンポジウムを聴き終わった。
青柳正規先生と北山修先生の話に胸を打たれた。
人は、分類することばかり、細分化することばかり考えていると思う。
その事象はそのままとして、曖昧なまま置いておけばいいのに、分からないまま、消化できないまま置いておけばいいのに。
むしろ無駄に細分化されたものは、例え分かりにくくなっても、くっ付けて置いておいた方がいい。
というような話がされていた。
批判を恐れず言うなら、このことは、理学療法士や作業療法士など様々な専門分野にも置き換えて議論することができると思う。例えば理学療法の手技。病気や怪我などで困ってる患者さんや当事者の方をすっぽ抜かして展開される〇〇法と××法、といった議論は必要ないと思った。くだらない細分化なのかもしれないと思った。
くっ付けるのは簡単な事だと思った。議論の真ん中に、病などで困ってる患者さんや当事者の方を据えればいい。その患者さんや当事者の方の為に議論すればいい。そうすれば、〇〇法とか××法という2つの議論が、「患者さんや当事者の方をどう治すか、どう支援するか、どう寄り添うか」という1つの議論に統一される。そう思った。
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