先日、理事長と職員の岡村がタイにおける過疎農村の暮らし調査とジャパン×タイプロジェクト「日本とタイのアール・ブリュット」展のオープニングに参加しました。
タイの首都バンコクから450km離れたカオディーン村では、入村式やカオディーン村の子供たちとのサッカー、村人たちと一緒に寺院へ参拝に行くなど、様々な交流をしてきました。その中でも、カオディーン村で暮らす障害者のお家への訪問調査は大きな刺激を受けました。私たちからみれば、不便な暮らしでも、カオディーン村で暮らす障害の方は、「困っていることは、そんなにない」と笑顔で話されていました。また、「困ったときは近隣の方が助けてくれるので困ることはない」とのことでした。カオディーン村には今、日本が求めている「互助」の考えが幅広く存在しており、今後の支援を考える大きな機会を与えてくれました。
その後、バンコクに移動し、「日本とタイのアール・ブリュット~知られざる美のかたち~」展のオープニングに参加しました。日本からは「瑞宝太鼓」や「サルサガムテープ」、出展者および出展者のご家族、支援者が日本から大勢参加していました。
この1週間の経験は、支援について再考する大変貴重な機会となりました。今回の経験を当法人スタッフとも共有し、今後の支援に活かしていきます。
ー理事長メモの一部ー
○トイレとお風呂。
トイレにトイレットペーパーはなく、用を足した後も流すのに少しだけ苦労した。シャワーは水圧が弱く、水しか出なかった。
足りていないものはそれだけだなと感じたが、別にトイレとお風呂が少しだけ不便でも、心が満たされるというその感覚には全く支障がなかった。
カオディン村は暖かさに溢れていた。昼間は、日本でいう縁側のような所で、数人のおばぁちゃんがゴロゴロしながら、楽しそうに会話をしていた。何時間もハンモックに揺られながら、木の枝を手に、地面をいじくっているおじいちゃんがいた。スピーカーを積んだ手押し車をみんなで押しながら、演歌と歌謡曲の間ぐらいの音楽を大音量で生演奏している若者がいた。その手押し車の周辺には、子供、若いお姉さん、おばちゃんおじちゃんなど、たくさんの村人ダンサーがいた。村のお店の店舗内にはベッドが置かれ、店を切り盛りする娘さんのお母さんが寝たきり生活を送っていた。寝たきりのおばぁちゃんは、店舗内にベッドがあればみんなに会えるから寂しくないと笑っていた。日が傾き始めると、ゴソゴソと夕食の支度がされ、親戚や近所の人たちとの夕食がなんとなく始まりなんとなく終わっていた。寝たきりのおじいちゃんや、障害を持っている人には、当たり前のように村人がご飯を運んでいた。
この村にユニットバスや、ウォシュレットのトイレを運ぶ事はそんなにハードルが高いことではなさそうだ。
でも、この村の親戚付き合いや、近所付き合いの感覚を、あるいは、困っている人がいれば自分にできる事はするという象徴を、あるいは肩のチカラが抜けた時間の流れを、、、日本に運ぶ事はできるだろうか。きっと高知に運ぶ事すら難しいに違いない。
僕の心は相当に満たされていたが、そんな事を考えるとなんだか少し悲しい気持ちにもなった。